platkisのブログ

生きていく勇気はないけど死ぬ勇気もない

壁打ちすること

 ボクは頭に思い浮かんだこととか夢で印象に残ったこととかただの愚痴とか,外出で買う物を列挙したりとか本当に取るに足らないことを閉鎖的なチャット空間にメモしておくことをそう呼んでる。 テニスや卓球の壁打ちのように自分だけで完結する物事を一般に壁打ちというから個人的な用語というわけでもない気がするけど。

壁打ち

 ボクは壁打ちをDiscordで1人しかいないサーバーを立ててやっている。Twitter(現X)のPrivate account(鍵垢)でやっている人もいるけどアカウントが停止されたり,昨今の仕様変更だったりでなかなか安定しないから業務上で知りえた以外のどうでもいいことを投げるのには向かないと思ったからDiscordでやっている。 Discordでも最近はThread機能があるからポッと出のアイデアや考えの文脈をそこから伸ばすことができるし壁打ちするために必要な機能は最低限ある。

壁打ちしてわかったこと

 あくまでもボクが壁打ちを2年くらい続けて感じたこと,変化してきたことなので万人には当てはまらないかもしれないけれども思っていた以上自分からでもわかる変化がいくつかあった。

  • 独り言が減ったこと
  • 壁打ち回数と忙しさに緩い関係性があること
  • 脈絡のない話ばかりしていたこと
  • メイントピックが変化したこと

 1つ目の「独り言が減った」は,行き場のないアイデアや感情のはけ口が変わっただけのことではあるけれど周りに人がいることに気付かずポッと独り言が出て少し恥ずかしくなることがなくなったから壁打ちしてよかったなと思った。ボクは貧乏ゆすりはしないけど独り言は一般の人よりは多めであることは自覚していた。でも独り言は癖みたいなもので独り言禁止!と意識して独り言がピタッと止まるわけでもないから独り言をどう減らすかは悩みの種であった。

 2つ目の「壁打ち回数と忙しさ」は,ある程度ストレスというか負荷がかかっている状態だとそうでないときに比べて壁打ちの回数が多いということに気が付いた。1日に壁打ちを1回もしない日もあれば,1日に40回くらい壁打ちすることもあった。ただ総じて言えるのは平日は壁打ち回数が多かったということ。ただ,何らかの締め切り間近など1分1秒が惜しいときは壁打ちしている暇ががなくなるから忙しすぎても壁打ち回数は減る。

 3つ目の「脈絡のない話」は,頭にポッと浮かんだことを文字起こしして壁打ちしているから5分で3回くらい壁打ちの話題が変わることがザラにあるということ。例えば韓国語の単語の投稿したと思ったら次に聴いてる曲の投稿するし,しまいには今日の夜ご飯何作るかの壁打ちし始めたり…と全くもって前後の投稿の関連性・一貫性がない。

 4つ目の「メイントピックの変化」は,壁打ち始めた時は〇〇(人名)ふざけんなよとかTwitterの裏垢でつぶやくようなことを壁打ちしていたことが多かったけど,1人で閉じている環境だとその共感を得られることもないし,陰口の極致で卑怯極まりないしカッコ悪いしで全く気が紛らわすことができないし,壁打ち履歴を振り返ったときにまた嫌な気持ちになるしで全くいいことがなかった。なので,最近は愚痴や陰口で壁打ちすることはなくなった。その代わりに,現実逃避する壁打ちが増えた。現実逃避の壁打ちは〇〇(旅行先)行きたいな~とか〇〇(食べ物)食いたいな~とかだいぶマイルドでポジティブなものがほとんど。その現実逃避壁打ちから旅行計画が生えたり,週末に一人でちょっと高い飯屋行く計画が立ったりしたのでストレスを建設的で健全な手段で解消できるようになった。

余談

 無生物の対象物にプログラムの動作を説明することで,自己完結した問題解決を行える手法に「ラバーダック・デバッグ」というのがあるらしい。 なので頭の中だけで考えを完結させないで,考えを外に出すことで違った見方を発見できるチャンスを作り出せるという点で壁打ちも同じであるかもしれない。 実際ボクも壁打ちしているうちに,ボクのすぐ近くにいるけど不可視で物言わぬ人(?)に向けて壁打ちしている気分になることがある。

ボクを客観的にみる存在

 図にするとこんな感じ。ボクはあくまでもボク向けに壁打ちしているつもりなのに,あとから壁打ちの内容を見てみると明らかに人に説明する文体で書かれていることがたまにある。調べてみたら「メタ認知」の説明と似ている気がする。

 夢日記を書き続けると精神がおかしくなるだとか,鏡の前で自分の存在についての自問自答をすると狂うだとか自分との向き合い方によっては良くない影響があるものもあるけど,少なくともボクは壁打ちで精神が不安定になったことはない。でも実際のところ壁打ちが危険な行為かどうかはわからない。