platkisのブログ

生きていく勇気はないけど死ぬ勇気もない

「殺すなら殺せ」は救いである

人生には目標が必要だ

人生には目標が必要だという話。社会人だと、何らかの会社に属することが多い為、その会社が設けている短期長期かかわらずノルマというものが存在する 。 それでそのノルマをどのくらい達成できたかによっておおよそ評価されるというのはどこも似たようなものだろう。

思えばあの大学院の生活では概してノルマというものがなかった。ないというのは完全なるうそになるが、自分の中から湧き出てくる「こうありたい」という像になるためのノルマがなかった、出てこなかった。自分の中で大きく停滞していた手痛い大学院の生活はそういう目標がなく、ふらふらと漂流する生活だった。「どうせ社会人になる」とわかっていたからそこまで研究に熱心になったわけでもない。社会人になってやることは今の専攻と全く違うということも大学院の生活の精彩を欠く原因だったかもしれない。

社会人生活はいたるところに「死」が待っている

学生生活と社会人生活の大きな違いはここにある気がする。たとえそれが新卒1年目だとしても、学生生活の時と比べれば、持っている裁量権が違いすぎる。 つまり、自己責任でいくらでも詰むのだ。ここでの死は何も社会的な死だけではなく、肉体的な死(罹患リスク)も含まれている。 社会人としてある一定水準の地位を確立するために(社会的には死につつも一定水準の低空飛行を続けている族に言う窓際族も含めて)、いやおうなしに乗り越えなければならないものが存在している。だからこそ現状に絶望しつつもそこから逃れようとする強い内的動機づけが存在している。 学生生活はモラトリアムなのであまりこういった明確な死が存在することはなく、だらだらと漂流していてもなんとかなってしまった。

一歩ずつ

風俗に、行きました。DTは、捨てていませんが。

酒の席でのたわごと

酒が入っていなくても常日頃結婚したいだとか、連れが欲しいだとかそういうことを思ってはいるがそういうことを口出しはしなかった。 珠にはそういうこともいいだろうと思って、彼女いない歴と年齢が同じという話をしたら、風俗に行けと急かされた。 酒の回ったノリだったから、いますぐにでもデリヘル呼ぶか?という話にもなったがさすがにそれはやめておいた。

DTは捨てなくてもいいからとりあえず風俗行けと急かされたのは、いいから異性に慣れろということのようだ。 結婚願望があるのに、相手(異性)のことについて知らないのは滑稽と思ったのだろう。 余計なお世話とは思いつつ、その時は恥ずかしいと思ったからはぐらかしてその酒の席は終わった。

とはいえ、いない歴と年齢が同じこと、異性に慣れていないことは事実ではあり、だんだんそのことを指摘されたついて腹が立ってきて(気に食わなくて)ノリと勢いで箱ヘルに行くことにした。

そういうことに詳しい別の友人に、風俗行くことを話したら「そんなに焦らなくてもいい」とも言われた。一時の気の迷いでそういうことを言っていると思われたのだろう。大体あっている。自分を知っている人複数人に似たような話をしてこれほどまで意見が分かれるのは難しいね。

行った

風俗を予約しておいてなんだが、恥ずかしいので夜ではなく朝に行った。 歓楽街というのは概して夜にお盛んになるものなので、朝にいくとうってかわってがらんとしているのだ。

嬢に手をつながれて案内されたり、脱がされたり、体洗われたり、金を払っているとはいえ当然異性とここまでのことをしたことが無いのですべてが新しい経験だった。

「こういうところ初めて」と言って少し驚かれたが、無理もないと思いつつも適当に世間話をした。 とはいえ、DTのDTたるゆえんで、してもらっている間は全く会話がないのだ。 風俗に行って初めて自分の性感帯がどこかわからないことが露呈した。あまりにも情けない。 してもらっているときも勃ち方はいまいちだし、出る気配もなく終始情けない姿をさらしただけだった。 幸い、終了直前に出せて最悪の結果は免れた。(まもなく終了だよと嬢に急かされたらあっけなかった。) 良くも悪くも風俗ってこんなもんかと安堵したというのが初風俗の感想ではあるものの、得られたものはいろいろとあった。 異性で勃つことができた、異性に触られて感じることができた、この事実だけでも大変に安堵することができた。 いままでの人生でこれほどにまで異性経験が少ないこと、自分から異性との関わりを持とうとしなかった理由が環境以外の個人の性的志向の存在を否定できなかったからだ。 恋愛対象に女性が含まれていないのかもしれないだとか、自分がホモなのかもしれないという懸念をとにかく払拭したかった。 強い恋愛願望はなくとも、なぜか無限に湧き出る結婚願望、子孫を持ちたいと思う願望が現実性のない夢のまた夢というわけでもなさそうだということが分かったからだ。今の時代は多様性の時代であるため、仮に恋愛対象が同性であったとしてもそこまで問題ではないかもしれないが、大多数の人間の恋愛対象が異性である以上、それと同じ方が安心できるわけだ。 またここには書けないような性的志向の存在に気付いたりもした。

風俗としての感想はそこまで書けるほどのことでもないが、風俗に行って分かったこと、得られたことがあまりにも大きく、ボクはそれだけで満足だった。

風俗に行った日は晴れだった。店から出たときの空はいつもよりも青く見えた。 二十数年しか生きていないのに、自分の人生に絶望していた1年前からは、1年後に風俗に行くなんて考えられなかったので、これも成長と言えば成長なのかもしれない。

あれから1年

学生の視点からみた社会人と社会人の視点からみた社会人

他人との人生の進度の違いに絶望したのは去年の9月。M2の年の9月で、大学生活ももう残すところあとわずかで、研究というノルマが課せられていた時だった。だから、学生という身分の割には自由があるわけではなかった。だからこそ、いくらでもあった暇な時間をあまり有意義に使わなかった・使えなかったことに対して後悔をしていた。 実際に社会人になってみると、その時思っていたこととはだいぶ違うこともあった。 どこに属しているかにも大きくよるだろうが、社会人生活が忙しくなるか、暇になるかは自分の意志である程度制御ができる。さすがにその暇の量の上限値はだいぶ下がったけれども。

社会人生活にもある程度慣れた時に、社会人まであと6か月。モラトリアムを丸々無駄にしたような生活をしたものにとって、死刑執行まであと6カ月のようなメンタルで書いた記事を読んだ。当時の自分が「空っぽの自分」ということに強い抵抗感や絶望感を抱いていたことを思い出した。結論から言うと、内面の空っぽさに絶望して悩んで「立ち止まっていた」ように見えた大学院の期間は無駄ではなかった。自分の空っぽさに目を向けて、少しでも自分の内面を豊かにしていこうと努力したことは今になって少しづつ役にたちはじめている。

だからこそ少なくとも今は、大学院末期に思っていたほどの絶望の未来を迎えるに至っていない。

とはいえ、社会人になって、社会人なりの悩みや絶望というのが存在していることには変わりはない。

社会人になるまでにやっておいた方がいいこと

 「大学は人生の夏休み」は多忙な理系大学生をバカにした言葉なのか? 

 その言葉の言外の意味って何なのかが社会人になった自分と同期の社会人を比べてわかった。端的に言えば自分は挑戦をしなかったからだ。

 二十数年生きた積み上げたもの,違う進路に進んで大学で変われたやつなら四年間または六年間くらいの積み重ねたものの差があまりにも大きすぎる。 隣の芝生は青く見えることを考慮してみてもやはり自分はすかすかで薄っぺらいことを事あるごとに分からされる。

これを学生の間に気付けていれば… と何度思ったことか

ボクが社会人になるまでに「したこと」

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